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手塚治虫先生と夢オチ

 アクセス解析をしてみると、「手塚治虫 夢オチ」で検索してくる人が多いのです。

 やっぱり、みんな手塚先生が夢オチを禁じたか、気になっているようですね。

 それで、改めて調べてみると、確かに「マンガの描き方」で「なんでも夢のオチにしてしまう」は「悪い例」として紹介しています。(ハイ、私は「マンガの描き方」を持っています(笑))

 

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 ですが、これをもって、「うーむ、手塚治虫が「悪い例」としているのか。やはり夢オチは絶対タブーの禁じ手なのだな」と決めつけるのは「乱暴」だし「早計」だし「拡大解釈」も良いところだと思います。
 理由も何も説明せず「悪い例」と、たった一行書いてるだけですから。

 そして、手塚先生自身が「ブラックジャック」の最終回、「人生と言う名のSL」が夢オチだったように、実は夢オチを多用する作家であったことを忘れてはいけません。

 多分、手塚先生自身が、夢オチを「いけない、いけない」と思いつつも多用してしまうことを気にしていたため、つい無意識にポロッと書いてしまったのではないでしょうか? (現在の作家と状況が違うため、著作自体が多く、必然的に夢オチ作品が多くなってしまうのですが。だからと言って、「絶望先生」が間違ったことを書いた、などと批判する気は全くありません。漫画に誇張表現はつきものですから(笑))

 それに、この「マンガの描き方」には、ある種の曰くがあるのですよ。

 大塚英志氏が、どの本に書いていたのか忘れてしまったので、正確ではありませんが、こんなことを書いていたのです。

 手塚治虫は結局、自分のマンガの描き方を書き残さなかった。「マンガの描き方」に書いてあることは、他の本に書かれてることをまとめただけだ。

 と言うことを。

 要するに、手塚治虫の「マンガの描き方」は、『「火の鳥」はこう描きました、「鉄腕アトム」はこう描きました、「ブッダ」はこう描きました』という自分の創作法を明かした本ではないということです。

 言われてみると確かに、「第二章 案をつくる」の演繹法を使うとか帰納法を使うとかは、どの本にも普通に書かれていることなんですよね。手塚治虫がこんな教科書通りのことをしていたか、実にアヤしい(笑)。もし、こんな教科書通りのことして手塚治虫のような傑作が描けるなら、世の中、傑作ばかりのはずです。(あるいは、誰でも手塚治虫のような傑作が描ける方法があるのに、その通りしない馬鹿ばかりという可能性もありますが……(笑))

 なぜ手塚先生は自分独自の創作法を書き残さなかったのでしょうね?

 手塚先生が、晩年までずっと新人漫画家に対して強いライバル心を持ち続けた話は有名です。
 自分より面白い漫画を書かれたら嫌だから、自分の創作法を明らかにすることを恐れたのかも知れません。
 
 または、天才は自分の方法を分析したりしないものですから、ただ単に書かなかっただけかもしれません。

 どちらかはわかりませんが、(かなり後者っぽいけど)「マンガの描き方」という本は、あまり内容のない本だ、信用の置けない本だ、ということです。それでも、断片的には見るべき点もあります。たとえば、「セリフはできるかぎり短いほうが良い。限界はまあ七行ぐらいである」なんかは、たくさんマンガを描いた人の経験則として聞いておいて損はないでしょう。

 それで、「第三章 漫画をつくる」の1、「物語の考え方」の部分に、こう書かれてるのですよ。

 ぼくは幼稚園にはいかなかったが、その年の頃に、よくお袋に寝物語を聞かされていた。
 そのころの話は今でも良く覚えていて、マンガの物語をつくるのに役立つ。話の組み立て方のコツも、こんなことから身についたのだろう。

 と。

 そして、「ここにいる」という話を紹介してるのですが、これが夢オチなんですよ(笑)! 

 夢オチを「悪い例」として書いていながら、別な部分で「こういう話が役に立った」と夢オチの話を紹介しているのですから、やはり「マンガの描き方」という本は、「自分の漫画の描き方を後世の人々に永遠に伝えよう!」と力を込めて書かれた本ではないですね。

 この本を書いた頃は、いわゆる第二次黄金期を迎えた、非常に多忙な時期で、後進の作家を育てるという仕事は、トキワ荘の作家を世に送り出すという形で、実作業としてやり終えてしまっている時期なのです。おそらく、片手間の仕事として、ササッと書いてしまった本なのではないでしょうか。 

 さて「ここにいる」という話を全文、正確に紹介すると長文になるので、要約を紹介しますね。

 怠け者の小坊主がいて、壺の中で居眠りをしていると、山姥が来て小坊主をさらってしまいます。山姥は最初は親切で、腕輪をくれたり、米を食べさせてくれたりするのです。小坊主は太って、腕輪が外れなくなってしまいます。山姥が自分を太らせて食べようとしてるのに気づいた小坊主は逃げ出すのですが、山姥が「どこにいる?」と訊くと、腕輪が「ここにいる」と答えるので、小坊主は山姥を振り切れません。そこで小坊主は自分の腕を切り、谷底に投げ捨てます。谷底から聞こえてくる「ここにいる」という返事を聞いた山姥は、谷底に落ちて死んでしまいます。命は助かったものの、腕をなくした小坊主が泣いていると、壺の中でハッと夢から覚めて、小坊主は真面目に働くようになりました。

 先生~!! あなたの作品に夢オチが多いのは、こういう話を聞かされていたからかも知れませんよ~(笑)!!

 それから、手塚先生の作品に夢オチが多いのは、江戸川乱歩の影響があったのでは、と考えたりします。
 手塚先生が、江戸川乱歩を耽読した、なんて話は私も聞いたことがありません。
 だから、強い影響を受けた、と主張する気はありません。
 ですが、手塚先生が江戸川乱歩作品を知っていても不思議はないですよね。
 そして、二人の作品には意外に共通点が多いのです。

 まず、二人とも夢オチが多い(笑)。

 次に二人ともドストエフスキーの「罪と罰」を作品化しています。

 

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 江戸川乱歩の短編「心理試験」は、「罪と罰」にインスパイアされたそうです。

 「ブラックジャック」のある話に、江戸川乱歩の短編と全く一緒のオチの話があります。
 (読めばすぐにわかるので、タイトルは書きません)

 そして、ブラックジャックの母の設定は、江戸川乱歩の短編「芋虫」に出てくる傷痍軍人の設定と同じなんですよ。
 すなわち爆弾で手足が吹き飛んでしまい、口もきけなくなって、自分の意思を伝えるのは目だけになってしまう、というのが。
 (気がつかれないはずはないのに、指摘されている話を読んだことがないのは、なぜだろう?)

 これは江戸川乱歩について書くときに、書こうと思ってたことですが、書いちゃいました。

 まあ、結局、手塚治虫が夢オチを禁じたかと言えば、確かに「禁じている」と言って良いでしょう。
 しかし、やっぱり手塚治虫自身が夢オチを多用する作家であって、そのことを自身が気に病んでいた故の発言でしょう。

 だから、それを持って「夢オチは、手塚治虫先生が禁じられて以来の最大のタブーです」と言うのは、「乱暴」だし「早計」だし「拡大解釈」も良いところだと思います。

 つまり、「夢オチは最低のオチです。私は決して使いません。だから、他の人も使ってはいけません」と言うわけではなく、「私は使っちゃうし、使っちゃったんだけど、他の人は使わないようにしてくださいね」くらいの意味なんでしょう。

 だからと言って、「絶望先生」が間違っていると批判するのも、また間違いです。漫画には誇張表現がつきものですから。つまり、ギャグ漫画特有の大げさな表現だった、と言うわけです。

 (2008年4月17日 追記)
 「クローバーフィールド/HAKAISHA」を見てきました。
 それを見て思い出したのは、手塚治虫の「ルードウィヒ・B」に全編手持ちカメラ風の映像で描かれた話があるということです。
 とにかく手塚治虫は偉大な人だったなあ、と改めて感じいりました。

 (2009年3月8日 追記) 

 これを書いて1年になるのですが、今だに週3~5人のペースで検索してくる人がいます。
 しょーもない私のブログのアクセス数の稼ぎ頭ですわ。(一日に3人くらい来る時もあるので週3~5人は控えめな数字です)
 そんなに手塚治虫が夢オチを禁止したか、気になりますか……。

 手塚治虫が実は夢オチを多用した作家だったことに気づいてしまえば、「夢オチはいけません」と言った理由は「夢オチ禁止」というルールを作ろうとしていたわけではなく、ただ単に反省していただけにすぎないと、パッと気がつくことなんですがね。

 それで、あれから私の調べも進みまして、手塚治虫がなぜ夢オチを多用したのかと言うと、やっぱり江戸川乱歩の影響を受けていたようです。それから、本人が自著に書いてるように、幼少時に聞かされていた話の影響。この二つのため、夢オチを多用してしまうことになってたのでしょう。

 手塚治虫は生涯多忙な人でした。暇な時などほとんどなかったと言って良いです。そのため、自分を分析する暇がなくて、自分がなぜ夢オチを多用してしまうのか気がつけなかったのでしょう。

 そして、「僕はなぜ、夢オチを使っちゃうんだろう……?」と悩みながら、「夢オチはいけません」と言い続けたのでしょう。
 

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コメント

要するに手塚自身の存在も含めて話が一人歩きしてただけってことですね

投稿: | 2009年1月19日 (月) 16時22分

「手塚自身の存在も含めて」のところが意味不明ですが、そうゆうことですcatface

投稿: 河合郷広 | 2009年1月21日 (水) 00時27分

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