書籍・雑誌

「刑事犬カール」

 久美沙織の「新人賞の獲り方おしえます」を古本屋で買って読みました。

 その中の課題に「一番初めに読んだ本」というのがありました。それで、一番初めに読んだ本を思い出したので、それを書いてみます。

 多分知っている人も多いかと思いますが、TBSのドラマ「刑事犬カール」。そのノベライズが最初に読んだ本ということになるでしょう。
 小学校5~6年生の頃、読書感想文を書くことになったのです。しかし、漫画などを腐るほど読んでいたものの、読みたい本など何一つなかった私には、本選びだけでも辛い作業でした。
 そんなとき、親に連れられて行った本屋に並んでいた本、それが「刑事犬カール」でした。

 著者は佐々木守氏。「ウルトラマン」の「故郷は地球」や「怪獣墓場」など異色作で有名な人です。
 「刑事犬カール」の脚本も書いていたし、ノベライズも書いていたのですね。ドラマの方は30分番組のせいか、どちらかというと子供っぽい内容だったのですが、ノベライズの方は読者の方を大人向けと考えていたのか、かなり文章も内容も硬派でした。
 テレビの話にそって書かれてはいるのですが、全6話で完結してノベライズも独立した小説として読めるようになってます。

 最終話の内容は、主人公高杉洋子とカールのコンビに優秀さに嫉妬と引け目を抱く、警察犬訓練士井上安子とキングのコンビの友情の回復がテーマになっていました。また、加納竜が演じていた「犬と女のお守りなんかやってられるか」とふてくされていた大島孝司刑事が「やっとやる気になったのに」とぶつくさ言いながら、転勤していく姿などが書かれてます。

 その後、脚本家の書いた小説を読んでみましたが、どうも文章が稚拙なのですね。脚本を書く人の書く文章というのは、後でそれを絵にしたり、動作をつける人がいるせいか、イメージだけを伝えて、具体的な所作を伝える小説的な文章になってないのですが、(一行ごとに改行したり……)佐々木守さんの文章は小説の文章になっていました。

 読書感想文を書くときに、それが「刑事犬カール」だとばれたらマズイと考え、第一話のタイトル「細い赤い糸の絆」というタイトルで書きました。

 実は「刑事犬カール」、まだ持ってます。

 さてさて、ここまで書いてみましたが、これだけかという印象ですね。
 これでは新人賞は獲れませんね。

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木枯し紋次郎は一度死んでいる!?

 「木枯し紋次郎」は笹沢左保による連作時代小説です。

 

Book 木枯し紋次郎 (1) (光文社文庫)

著者:笹沢 左保
販売元:光文社
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 市川崑監督監修、中村敦夫主演によりテレビ時代劇化され人気を博し、大ヒットしました。 

 

木枯し紋次郎 DVD-BOX I DVD 木枯し紋次郎 DVD-BOX I

販売元:ハピネット・ピクチャーズ
発売日:2002/12/21
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 その完成度はジェレミー・ブレッド主演の「シャーロック・ホームズ」シリーズに匹敵すると言っても過言ではないと思います。

 

シャーロック・ホームズの冒険[完全版]DVD-BOX 2 DVD シャーロック・ホームズの冒険[完全版]DVD-BOX 2

販売元:ハピネット
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 最近でも、江口洋介主演でドラマ化されましたね。というか、それで思い出した話なのですが。

 私は「木枯し紋次郎は一度死んでいる」んじゃないかと思ってるんです。

 私が「木枯し紋次郎」を読んだのは10年くらい前でしたかね。その中の「唄を数えた鳴神峠」で紋次郎は40対1という戦いをして相手側を全滅させるも全身傷だらけになり、路上に倒れて終わるんです。

 その長脇差が紋次郎の左の肩口を割ったのと同時に、紋次郎の突きだした長脇差が茂吉の心臓のあたりにくいこんでいた。

 この傷の描写を読むと、どうしても死んでなきゃおかしい、という重傷を負ってるはずなんです。

 ところが、次の「木枯しは三度吹く」と言う話では、紋次郎は何事もなかったように再登場してるんですよ。「これはどういうことだ?」としばらく悩んでいたのですが、後になって理由がわかりました。
 「唄を数えた鳴神峠」という話は、実は第一回の連載最終回で、次の「木枯らしは三度吹く」が書かれるまでに2年間の空白があったのです。

 そして、私は直接読んだことはないのですが、その間に笹沢左保氏は「主人公に人気が出すぎると作者の思い通りにならなくなる」というエッセイを書いているんだそうです。

 それで思ったんですが、笹沢左保氏は「唄を数えた鳴神峠」で、はっきりと書いてはいませんが「木枯らし紋次郎は死にました」と終わらせたつもりだったのではないでしょうか? 「これだけ書けば、はっきり書かなくてもニュアンスでわかるだろう」と思ってたんでしょう。しかし、「主人公に人気が出すぎると作者の思い通り」にならなくなります。読者の方は、そうは思わなかったのです。「あれ、死んでないんですよね。続きは、いつ書くんです?」と聞かれまくったんでしょう。それで嫌になって、「主人公に人気が出すぎると作者の思い通りにならなくなる」というエッセイを書き、「ハイハイ、あんたたちの想像通り、死んでませんよ」と続きを書き始めたのではないでしょうか? だって、他にそんな主人公がいませんから。(私が知らないだけかもしれません。そんな主人公を知っていたら、教えてください)

 それで、私は「この次の「木枯しは三度吹く」と言う話では、紋次郎は何事もなかったように再登場してるんですよ」と書いていますが、それは私の間違い。上記のような事情を知ると、紋次郎は何事もなかったように再登場をしてません。笹沢左保氏はちゃんとフォローをしてます。自分では死なせたつもりの紋次郎を何事もなかったように再登場させるのは、照れくさかったらしく、「木枯しは三度吹く」は少し凝った話になっているのです。

 村を追放された男がやくざの身内になるために、村に帰ってきます。しかし、男は村で何者かに殺されてしまいます。身内にするはずだった親分は「下手人を差し出せ、さもなくば力士崩れの大男、六人を村で暴れさせるぞ」と要求します。ですが、村人たちにも、下手人が誰かわからないのです。頭を抱える村人たちを、紋次郎にツテのある老人が「紋次郎さんに頼もう!」と励まします。しかし、現れたのは上州無宿、木枯し紋次郎ではなく、別の紋次郎だったのです。引き受けた紋次郎はあっさり殺され、下手人を差し出さないばかりか用心棒まで雇いやがったと怒り狂う親分の前に、本物の木枯し紋次郎が現れるのです。

「ここへ、何をしに来たんだ」
「この仏に用がありやして……」
 紋次郎の懐から財布を取り出す。
「そいつに財布をすられたってわけかい」
「へい」
「この村の連中に手を貸す気はねえんだな」
「へい、あっしには関わりのねえことにござんす」

 まあ、結局、関わりを持っちゃうんですけどね。さあ、巨木を振り回す力士崩れの大男六人と、どう戦うのか?
 週刊少年マガジンに連載されてた「少年無宿シンクロウ」にパクられていました。

 

少年無宿シンクロウ (5) (講談社コミックス―SHONEN MAGAZINE COMICS (3748巻)) Book 少年無宿シンクロウ (5) (講談社コミックス―SHONEN MAGAZINE COMICS (3748巻))

著者:さい ふうめい,星野 泰視
販売元:講談社
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 その後、笹沢左保氏は木枯し紋次郎と一生付き合う気になったらしく、「御百度に心で詫びた紋次郎」で終了した後、峠花の小文太と言う男に追われるシリーズを連載し、40代になった「帰って来た紋次郎」という連載を持ちます。連載を持ちます、というのは完結させずになくなられてしまったからです。
 
 「人気が出すぎた主人公」持った作者、というものは同じ悩みを持つものです。コナン・ドイルもシャーロック・ホームズを生き返らせましたしね。
 モンキー・パンチ氏も、とあるテレビ番組で「「ルパン三世」の最終回を書きたい」と言いました。

 例外的に、人気が出すぎた主人公をうまく消した人と言えばアガサ・クリスティがいますね。エルキュール・ポアロを「自分の死後、ポアロが人の手によって活躍するのが耐えられない」と言って自分の死後、発表する契約をして「カーテン」を執筆します。実際にはアガサ・クリスティの死の数か月前に出版されましたが。 

 

Book カーテン (クリスティー文庫)

著者:アガサ・クリスティー
販売元:早川書房
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 それになぞらえて金田一耕助最後の事件を書いたのが横溝正史。「病院坂の首縊りの家」で金田一耕助を米国に旅立たせてます。

 まあ、とにかく、「人気が出すぎた主人公」持った作者は困ると言った話です。原作者である笹沢左保氏が亡くなられてしまった今では確かめるすべのない話ですが、私はそうなんじゃないかと思っています。

 その反省を踏まえてか、煽りを食らって笹沢左保氏にはっきり殺されてしまった主人公が「乙井村の姫四郎、人呼んで乙姫」です。この人は完璧に死んでます。なにしろ脳天にピストルの弾が命中してるんですから。地の文にも、はっきり死に顔と書いてあります。これで生きてると思う奴がいたら、本物の馬鹿だ。(実は、他にも殺されてる主人公がいるんですけどね(笑))

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背筋がゾクッとする小説

 暑い夏に怪談と誰が決めたのでしょうね?
 誰かは知りませんが、理由は「条件反射」だと思ってます。
 夏に風鈴をつるすのは、条件反射を利用して、涼むのが理由だとテレビで見ました。
 風鈴が鳴る → 風が吹いている → 涼しい → 風鈴が鳴ると涼しい、と感じる。
 のだそうです。嘘みたいな話ですが、テレビでそう言っているのを見た記憶があります。

 それで、夏に怪談というのは、
 怖い話 → 背筋がゾクッとする → 涼しいからだ → 夏には怪談
 と、自然に決まったのではないかと。

 真相はどうでもよいのですが。

 私は、映画を見たり、怪談を聞いたりして背筋がゾクッと震える体験をしたことは何度もありましたが、文章を読んで背筋がゾクッとする事などないと思ってました。背筋がゾクッとする恐怖を味わうのは、五感を刺激されるからだと思ってましたから。それに対し、文章を読むということは、五感を刺激されるような体験ではないですからね。視覚を刺激するのは絵ですし、聴覚を刺激するのは音です。絵も音もない文章で、背筋をゾクッとさせる恐怖を味わうなんて無理だと思ってました。

 しかし、それは読書量が少ないことから来る思い込みだと悟らされました。
 文章を読むことで、背筋をゾクッとさせる恐怖を味わうことはあります。

 最初に、背筋をゾクッとさせられたのは江戸川乱歩の「孤島の鬼」です。

 

孤島の鬼 (創元推理文庫) Book 孤島の鬼 (創元推理文庫)

著者:江戸川 乱歩
販売元:東京創元社
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 ある個所を読んだ時、背筋をゾクッとさせられました。しかし、この時は「ああ、こうやれば文章でも背筋をゾクッとさせられるんだな」と考えただけでした。(その場所を書くわけにはいきません。そして、背筋がゾクッとした理由も書くわけにはいきません。説明したら、あなたの背筋がゾクッと震えなくなるかもしれませんから。もし、あなたが「孤島の鬼」を読んで、背筋がゾクッと震えなくても、それは仕方ないですねえ)

 しかし、「ああ、こうやれば文章でも背筋をゾクッとさせられるんだな」という考えが完全に間違いだと知らされたのは、同じ江戸川乱歩の短編「恐ろしき錯誤」です。様々な短編集に収録されてますが「算盤が恋を語る話」が入手しやすいかな?

 

算盤が恋を語る話 (創元推理文庫) Book 算盤が恋を語る話 (創元推理文庫)

著者:江戸川 乱歩
販売元:東京創元社
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 さて、次にオススメが岡本綺堂の「半七捕物帳」の第一話にあたる「お文の魂」です。

 

半七捕物帳〈1〉 (光文社時代小説文庫) Book 半七捕物帳〈1〉 (光文社時代小説文庫)

著者:岡本 綺堂
販売元:光文社
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 とある武家の妻が娘と共に、「夫と別れたい」と兄のいる実家に戻ります。いきなり別れたいでは話が通らないから、と理由を聞き出すと、家に「幽霊が出る」と言うのです。兄と夫が話し合った末に、二人で寝ずの番をしてみよう、と言うことになります。そして、ふすま一つ隔てた部屋で二人が寝ずの番をしていると……、夜中に隣から、妻と娘の悲鳴が。「お文が! お文が来た!」
 
 はたして「お文」とは何者か?

 今では「青空文庫」でも読めます。また、大正6年に書かれたとは思えない現代的な文章もオススメの点の一つです。(「青空文庫」は旧かなづかいですが)ちょっとコピペしましょう。

 事件は今から七日前、娘のお春が三つの節句の雛を片附けた晩のことであつた。お道の枕もとに散らし髪の若い女が眞蒼な顔を出した。女は水でも浴びたやうに、頭から着物までびしよ濡れになつてゐた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく疊に手をついてお辭儀してゐた。女はなんにも云はなかつた。また別に人を脅かすやうな擧動も見せなかつた。たゞ默つておとなしく其處(そこ)にうづくまつてゐるだけのことであつたが、それが譬(たと)へやうもないほどに物凄かつた。お道はぞつとして思はず衾(よぎ)の袖に獅噛(しが)み付くと、おそろしい夢は醒めた。
 これと同時に、自分と添寢をしてゐたお春も同じく怖い夢にでもおそはれたらしく、急に火の付くやうに泣き出して、「ふみが來た。ふみが來た。」と續(つづ)けて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中に叫んだふみといふのは、おそらく彼女の名であらうと想像された。

 私も、岡本綺堂のような文章を書いてみたいと思ってます。

 次にオススメは清水義範の「靄の中の終章」です。「国語入試問題必勝法」に収録されてます。

 

国語入試問題必勝法 (講談社文庫) Book 国語入試問題必勝法 (講談社文庫)

著者:清水 義範
販売元:講談社
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 これは怖い。若いうちに読んでおいて本当に良かったと思います。年を取ってからこんなもん読んだら、朝食を食べた後、日向ぼっこなんかできなくなります。

 最後のオススメは横溝正史の「車井戸はなぜ軋る」です。角川文庫の「本陣殺人事件」に収録されてるものが一番入手しやすいでしょう。

 

本陣殺人事件 (角川文庫―金田一耕助ファイル) Book 本陣殺人事件 (角川文庫―金田一耕助ファイル)

著者:横溝 正史
販売元:角川書店
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 一応、金田一耕助が出てきますが、主人公は本位田鶴代という病弱な女の子です。鶴代には、大助と慎吉という二人の兄がいます。そして、もう一人、腹違いの兄、伍一がいます。伍一は腹違いのため、大助と似ており、二人を区別する方法は目を見るしかないそうです。それは伍一が二重瞳孔という変わった目を持っているからです。そして伍一は激しく本位田家を憎んでいました。
 その伍一と大助が戦争で同じ部隊に配属されました。その部隊が全滅したという報が入るのですが、奇跡的に大助が生きていて復員したのです。ところが……、その大助の両眼にはガラスの義眼がはまっていたのでした……。

 ヒィィィィ!!

 設定だけでも充分怖い。しかし、ある個所を読んだ時、背筋がゾクゾクッと震え上がりました。ゾクッではなく、ゾクゾクッです(笑)。
 どこでゾクッと震え上がったか忘れたので、もう一度読んだら、もう一度ゾクゾクッと震え上がりました(笑)。

 実は一度だけ、映像化しております。まあ、うまくやっているのでは?

 

金田一耕助シリーズ 水神村伝説殺人事件 DVD 金田一耕助シリーズ 水神村伝説殺人事件

販売元:TBS
発売日:2004/09/24
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「ドワーフ村殺人事件」

 アクセス解析をしてみると、「推理小説家になるには」で検索してきた人がいますな。
 その方は時刻表を読んで推理小説家になるのでしょうか(笑)?

 ちなみに私は時刻表が読めません。推理小説家になれませんね。

 推理小説家になるには、やはり推理小説を書いて、江戸川乱歩賞などの推理小説の賞に応募して入選などするのが一番でしょう。
 または他業からの横滑りなどが推理小説家になる早道です(笑)。

 なにか他の方法でデビューして、それから推理小説を書くのです(笑)。

 そんな方法でデビューしてる奴がいるのかと思うでしょうが、いないことはないでしょう(笑)。

 それが今回語る「ドワーフ村殺人事件」。作者は高井信。

 これが酷い内容で、ユーモア・ファンタジー・ミステリーと銘打っていますが、とてもミステリーと銘打てる代物ではありません。ファンは「ユーモア・ファンタジーだから良いじゃないか!」と弁明しなきゃならない代物です。

 「ドワーフ村殺人事件」はデュダとリューク、ドワーフの探偵と助手のエルフのコンビが、バンデ村の村長、フラグの怪死事件の謎を解くという話です。
 デュダとリュークは、フラグと食堂で酒を飲んで寝込んでしまいます。目が覚めると、フラグは鍵のかかった宝物庫で首をつって死んでいました。近くのテーブルに遺書があります。宝物庫の唯一の鍵は、フラグの服のポケットから見つかりました。自殺と考えられますが、フラグの首に二重の索縄痕があり、自殺に見せかけた他殺ということになります。鍵のかかった宝物庫から、犯人はどうやって出て行ったのか? そして推理の結果、息子のバーグが怪しいと考えたデュダとリュークはフラグの霊になりすまし、自白させます。判明した事実は、「息子に殺されかけたショックによる衝動的な自殺」なのだそうです。

 この話の何が問題かというと、「ヴァン・ダインの20則」の8、「交霊術を用いて犯人を指摘してはならない」を破っている(笑)ではなく、

 犯人が具体的に何をしたのかさっぱりわからないのです。本当に何も書いてないのです。実際の犯行現場もどこかわかりません。

 食堂で首を絞めたとしましょう。その後、フラグは立ち上がり、宝物庫に行って首をつる。そんな馬鹿な(笑)。
 では、宝物庫で首を絞めたとしましょう。その後、犯人はどこから出て行ったのでしょう? 扉から? あるいは、隠し扉から? (そんなもんがあったのです(笑))まあ、いいや。とにかく出て行ったとしましょう。フラグは立ち上がり、死にたくなって遺書を書き……、筆記用具はどこから(笑)? 宝物庫にあったのでしょうか(笑)? 描写がないんで、わからない(笑)。
 宝物庫が実際の犯行現場と仮定したわけですが、犯行現場に宝物庫を選んだ理由は何でしょう? 自殺に見せかける意図でもなければ、宝物庫を犯行現場に選ぶ理由がないのでは(笑)?
 宝物庫を犯行現場に選んだが、犯人、バーグには自殺に見せかける意図はなかった、としましょう。宝物庫には魔法のかかった斧があるんですよ(笑)? 斧を使わない理由は何(笑)? 確実に殺せる凶器が目の前にあるのに、なぜ首を絞めたんでしょう?
 首に二重の索縄痕があったそうですが、抵抗の跡がないのもおかしい。些細な突っ込みなのかもしれませんが、普通、首を絞められたら抵抗しますよね? 首の縄をどうにかしようとひっかき傷くらいできるはずです。二重の索縄痕については書いてあるのに、抵抗の跡が書かれてないのはミスですねえ。
 抵抗の跡が実際にないと仮定しましょう。すると「息子に殺されかけたショックによる衝動的な自殺」である事実も消えてしまいます。だって、抵抗しなかったということは、完全に眠っていて意識がなかったってことでしょう? 「息子に殺されかけた」なんて思うわけないじゃないですか? それとも手足を縛りつけて抵抗できなくした後、首を絞め、仮死に陥った後、拘束を解き、バーグは部屋を出て行った? そんな馬鹿な。バーグには殺す意図はあっても、自殺に見せかけたり、密室を作ろうという意図はなかったんですよ? 手足を縛りつけて抵抗できなくする理由がありません。ただ殺せば良いだけのはず。(これは私の仮定であって、小説の中のバーグが何を考えていたか、何をしたかがさっぱりわからんのですが(笑))
 残されていた遺書の内容もおかしい(笑)。「遺産は全て娘のリルナに贈る」と書いてありました。「次は、リルナを殺せ」と言っているようなもんです(笑)。フラグはなぜ、バーグに「私は死ぬが、お前は改心してくれ」と書き遺さなかったのでしょう(笑)? (バーグの殺人動機は遺産目当てではありませんが)

 それから~、ずーっと後回しにしていたことですが、わざわざ目撃者が多い日に犯行を実行した理由はなんなんでしょう?

 バーグはフラグを殺すだけで良かったらしいんですよ。それならデュダやリュークがいる日を選ぶ理由は何?

 はい、普通の推理小説なら、こうなります。

 「デュダとリュークがいたから実行した」
 
 探偵気取りのマヌケなドワーフとエルフを目撃者として利用した、こうした方がずっとしっくりします。

 「ドワーフ村殺人事件」は、このように他にも突っ込みどころ満載です。

 推理小説家になるには、こういうダメな推理小説を読んで、納得いく展開を考えるというのも良いかもしれません。

 SFとミステリーを融合させる試みは「鋼鉄都市」や「はだかの太陽」などがあるように、ファンタジーとミステリーを融合させる試みは、海外でもなされてます。
 「一角獣(ユニコーン)を探せ!」(マイク・レズニック)という作品もありました。

 しかし、「ドワーフ村殺人事件」はお話しになりませんね。「ライトノベルに期待するな」と言われればそれまでですが(笑)。
 「わらべうた殺人事件」という続編がありますが、「ドワーフ村殺人事件」よりも酷いです。「ドワーフ村殺人事件」は、まだ一応ミステリーの体をなしてますが、「わらべうた殺人事件」はミステリーになってません。高井信氏は「わらべうた殺人事件」を書いた後、このシリーズの続きを書いていません。賢明ですね。やめといたほうが良い(笑)。
 ですが、山本弘の「ゴーレムは証言せず」や「死者は弁明せず」の方はずっとマシです。おススメできます。

 もっとも山本弘さんもソード・ワールド・シリーズのシナリオ集「猫だけが知っている」ではお茶目な失敗をしてるそうですが、それについてはまた別の機会に。

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手塚治虫先生と夢オチ

 アクセス解析をしてみると、「手塚治虫 夢オチ」で検索してくる人が多いのです。

 やっぱり、みんな手塚先生が夢オチを禁じたか、気になっているようですね。

 それで、改めて調べてみると、確かに「マンガの描き方」で「なんでも夢のオチにしてしまう」は「悪い例」として紹介しています。(ハイ、私は「マンガの描き方」を持っています(笑))

 

マンガの描き方―似顔絵から長編まで (知恵の森文庫) Book マンガの描き方―似顔絵から長編まで (知恵の森文庫)

著者:手塚 治虫
販売元:光文社
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 ですが、これをもって、「うーむ、手塚治虫が「悪い例」としているのか。やはり夢オチは絶対タブーの禁じ手なのだな」と決めつけるのは「乱暴」だし「早計」だし「拡大解釈」も良いところだと思います。
 理由も何も説明せず「悪い例」と、たった一行書いてるだけですから。

 そして、手塚先生自身が「ブラックジャック」の最終回、「人生と言う名のSL」が夢オチだったように、実は夢オチを多用する作家であったことを忘れてはいけません。

 多分、手塚先生自身が、夢オチを「いけない、いけない」と思いつつも多用してしまうことを気にしていたため、つい無意識にポロッと書いてしまったのではないでしょうか? (現在の作家と状況が違うため、著作自体が多く、必然的に夢オチ作品が多くなってしまうのですが。だからと言って、「絶望先生」が間違ったことを書いた、などと批判する気は全くありません。漫画に誇張表現はつきものですから(笑))

 それに、この「マンガの描き方」には、ある種の曰くがあるのですよ。

 大塚英志氏が、どの本に書いていたのか忘れてしまったので、正確ではありませんが、こんなことを書いていたのです。

 手塚治虫は結局、自分のマンガの描き方を書き残さなかった。「マンガの描き方」に書いてあることは、他の本に書かれてることをまとめただけだ。

 と言うことを。

 要するに、手塚治虫の「マンガの描き方」は、『「火の鳥」はこう描きました、「鉄腕アトム」はこう描きました、「ブッダ」はこう描きました』という自分の創作法を明かした本ではないということです。

 言われてみると確かに、「第二章 案をつくる」の演繹法を使うとか帰納法を使うとかは、どの本にも普通に書かれていることなんですよね。手塚治虫がこんな教科書通りのことをしていたか、実にアヤしい(笑)。もし、こんな教科書通りのことして手塚治虫のような傑作が描けるなら、世の中、傑作ばかりのはずです。(あるいは、誰でも手塚治虫のような傑作が描ける方法があるのに、その通りしない馬鹿ばかりという可能性もありますが……(笑))

 なぜ手塚先生は自分独自の創作法を書き残さなかったのでしょうね?

 手塚先生が、晩年までずっと新人漫画家に対して強いライバル心を持ち続けた話は有名です。
 自分より面白い漫画を書かれたら嫌だから、自分の創作法を明らかにすることを恐れたのかも知れません。
 
 または、天才は自分の方法を分析したりしないものですから、ただ単に書かなかっただけかもしれません。

 どちらかはわかりませんが、(かなり後者っぽいけど)「マンガの描き方」という本は、あまり内容のない本だ、信用の置けない本だ、ということです。それでも、断片的には見るべき点もあります。たとえば、「セリフはできるかぎり短いほうが良い。限界はまあ七行ぐらいである」なんかは、たくさんマンガを描いた人の経験則として聞いておいて損はないでしょう。

 それで、「第三章 漫画をつくる」の1、「物語の考え方」の部分に、こう書かれてるのですよ。

 ぼくは幼稚園にはいかなかったが、その年の頃に、よくお袋に寝物語を聞かされていた。
 そのころの話は今でも良く覚えていて、マンガの物語をつくるのに役立つ。話の組み立て方のコツも、こんなことから身についたのだろう。

 と。

 そして、「ここにいる」という話を紹介してるのですが、これが夢オチなんですよ(笑)! 

 夢オチを「悪い例」として書いていながら、別な部分で「こういう話が役に立った」と夢オチの話を紹介しているのですから、やはり「マンガの描き方」という本は、「自分の漫画の描き方を後世の人々に永遠に伝えよう!」と力を込めて書かれた本ではないですね。

 この本を書いた頃は、いわゆる第二次黄金期を迎えた、非常に多忙な時期で、後進の作家を育てるという仕事は、トキワ荘の作家を世に送り出すという形で、実作業としてやり終えてしまっている時期なのです。おそらく、片手間の仕事として、ササッと書いてしまった本なのではないでしょうか。 

 さて「ここにいる」という話を全文、正確に紹介すると長文になるので、要約を紹介しますね。

 怠け者の小坊主がいて、壺の中で居眠りをしていると、山姥が来て小坊主をさらってしまいます。山姥は最初は親切で、腕輪をくれたり、米を食べさせてくれたりするのです。小坊主は太って、腕輪が外れなくなってしまいます。山姥が自分を太らせて食べようとしてるのに気づいた小坊主は逃げ出すのですが、山姥が「どこにいる?」と訊くと、腕輪が「ここにいる」と答えるので、小坊主は山姥を振り切れません。そこで小坊主は自分の腕を切り、谷底に投げ捨てます。谷底から聞こえてくる「ここにいる」という返事を聞いた山姥は、谷底に落ちて死んでしまいます。命は助かったものの、腕をなくした小坊主が泣いていると、壺の中でハッと夢から覚めて、小坊主は真面目に働くようになりました。

 先生~!! あなたの作品に夢オチが多いのは、こういう話を聞かされていたからかも知れませんよ~(笑)!!

 それから、手塚先生の作品に夢オチが多いのは、江戸川乱歩の影響があったのでは、と考えたりします。
 手塚先生が、江戸川乱歩を耽読した、なんて話は私も聞いたことがありません。
 だから、強い影響を受けた、と主張する気はありません。
 ですが、手塚先生が江戸川乱歩作品を知っていても不思議はないですよね。
 そして、二人の作品には意外に共通点が多いのです。

 まず、二人とも夢オチが多い(笑)。

 次に二人ともドストエフスキーの「罪と罰」を作品化しています。

 

罪と罰 (手塚治虫漫画全集 (10)) Book 罪と罰 (手塚治虫漫画全集 (10))

著者:手塚 治虫
販売元:講談社
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 江戸川乱歩の短編「心理試験」は、「罪と罰」にインスパイアされたそうです。

 「ブラックジャック」のある話に、江戸川乱歩の短編と全く一緒のオチの話があります。
 (読めばすぐにわかるので、タイトルは書きません)

 そして、ブラックジャックの母の設定は、江戸川乱歩の短編「芋虫」に出てくる傷痍軍人の設定と同じなんですよ。
 すなわち爆弾で手足が吹き飛んでしまい、口もきけなくなって、自分の意思を伝えるのは目だけになってしまう、というのが。
 (気がつかれないはずはないのに、指摘されている話を読んだことがないのは、なぜだろう?)

 これは江戸川乱歩について書くときに、書こうと思ってたことですが、書いちゃいました。

 まあ、結局、手塚治虫が夢オチを禁じたかと言えば、確かに「禁じている」と言って良いでしょう。
 しかし、やっぱり手塚治虫自身が夢オチを多用する作家であって、そのことを自身が気に病んでいた故の発言でしょう。

 だから、それを持って「夢オチは、手塚治虫先生が禁じられて以来の最大のタブーです」と言うのは、「乱暴」だし「早計」だし「拡大解釈」も良いところだと思います。

 つまり、「夢オチは最低のオチです。私は決して使いません。だから、他の人も使ってはいけません」と言うわけではなく、「私は使っちゃうし、使っちゃったんだけど、他の人は使わないようにしてくださいね」くらいの意味なんでしょう。

 だからと言って、「絶望先生」が間違っていると批判するのも、また間違いです。漫画には誇張表現がつきものですから。つまり、ギャグ漫画特有の大げさな表現だった、と言うわけです。

 (2008年4月17日 追記)
 「クローバーフィールド/HAKAISHA」を見てきました。
 それを見て思い出したのは、手塚治虫の「ルードウィヒ・B」に全編手持ちカメラ風の映像で描かれた話があるということです。
 とにかく手塚治虫は偉大な人だったなあ、と改めて感じいりました。

 (2009年3月8日 追記) 

 これを書いて1年になるのですが、今だに週3~5人のペースで検索してくる人がいます。
 しょーもない私のブログのアクセス数の稼ぎ頭ですわ。(一日に3人くらい来る時もあるので週3~5人は控えめな数字です)
 そんなに手塚治虫が夢オチを禁止したか、気になりますか……。

 手塚治虫が実は夢オチを多用した作家だったことに気づいてしまえば、「夢オチはいけません」と言った理由は「夢オチ禁止」というルールを作ろうとしていたわけではなく、ただ単に反省していただけにすぎないと、パッと気がつくことなんですがね。

 それで、あれから私の調べも進みまして、手塚治虫がなぜ夢オチを多用したのかと言うと、やっぱり江戸川乱歩の影響を受けていたようです。それから、本人が自著に書いてるように、幼少時に聞かされていた話の影響。この二つのため、夢オチを多用してしまうことになってたのでしょう。

 手塚治虫は生涯多忙な人でした。暇な時などほとんどなかったと言って良いです。そのため、自分を分析する暇がなくて、自分がなぜ夢オチを多用してしまうのか気がつけなかったのでしょう。

 そして、「僕はなぜ、夢オチを使っちゃうんだろう……?」と悩みながら、「夢オチはいけません」と言い続けたのでしょう。
 

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夢オチについて考えてみました。

「さよなら絶望先生」に「夢オチは手塚先生が禁じた」というネタがありました。
 手塚先生は、やっぱり手塚治虫先生なんでしょうね。

 しかし、私はそんな話は聞いたことがありません。

 ただし、「私の作品には夢オチが多い」とぼやいている文章を読んだ記憶はあります。

 それが「僕はマンガ家」か

 

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著者:手塚 治虫
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 「観たり撮ったり映したり」だったかは忘れましたが。

 

Book 観たり撮ったり映したり

著者:手塚 治虫
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 ひょっとしたら、その文章の締めくくりで、「だから、他の人は夢オチを使ってはいけませんよ」とか、書いていたのかも知れません。
 でも、それは「文章の締めくくり」として用いていただけで、「夢オチ厳禁」という規則めいた話ではなかったのでは、と思います。
 何しろ、「ブラックジャック」の最終回「人生と言う名のSL」からして夢オチなのですから。

 

Black Jack―The best 12stories by Osamu Tezuka (1) (秋田文庫) Book Black Jack―The best 12stories by Osamu Tezuka (1) (秋田文庫)

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(だからと言って、間違っているとか批判しているわけではないです)

 「夢オチは最低のオチだ」と言う人もいますが、それなら「ブラックジャック」の最終回も最低なのでしょうか?

 木津千里なら、

 「最低なの!? 最低じゃないの!? きっちりしてよ! 私、そういうのイライラするの!!」

 と言うところです。
 
 他に手塚先生の作品に夢オチのマンガがあったかというと「冒険ルビ」という漫画が夢オチでした。

 「そんな漫画があるのか?」という人もいるかもしれませんが、ありました。

 

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著者:手塚 治虫
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 講談社漫画全集に入っています。

 また、他のSF短編に夢オチの作品があったと思いますが、それは置いといて(笑)。

 他のマンガに夢オチがあったかというと「ドラえもん」の「うつつまくら」が夢オチでした。

 

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 のび太が夏休みの最期の日、ドラえもんの「うつつまくら」で夏休みをやり直そうとしたら、それまでの話はのび太の夢で、ドラえもんは「うつつまくら」なんて持っていないし、夏休みは始まったばかりだった、と言う話。
 私は、子どもの頃、これを夢オチだと理解するのに、しばらく時間がかかりました(笑)。

 他に道具の名前を忘れましたが、のび太が未来を予知する道具で大洪水を予知します。ドラえもんが張り切って、ノアの方舟のような船を造るのですが、のび太が予知したのは、大洪水の夢を見てオネショする現実だった、という話。
 「実は夢だった」という話なのですから、夢オチなのでしょうか?

 「ハイスクール奇面組」の最終回が夢オチでした。今までのことは、ヒロイン、河川唯の夢だった、ということで、発表された当時は、困惑したファンが多かったようです。しかし、後に作者の新沢基栄氏が、あれは原作第一話につながるループオチだと発言し、納得した人もいるようです。
 ですが、私は当時から、「あの廊下の向こうから、本当に奇面組のメンバーが現れるというオチなんだろ? 別に良いじゃん」とか思ってました。

 「東京大学物語」が豪快な夢オチでした。ただ、私は途中から適当に読んでいたので、全くショックなど受けませんでした。「ああ、そう」てな感じで。

 「夢かと思ったら、夢じゃなかったオチ」もありますね。

 「Dr.スランプ」で山吹先生と則巻千兵衛が結婚する話。トイレの前で告白したら、トイレの中でOKされて、アラレに胴上げされて気絶。「ああ、夢か……」と思ったら……。

 「絶対無敵ライジンオー」の最終回も「夢かと思ったら、夢じゃなかったオチ」か……? ライジンオーの操縦者、星山吼児は「今までのことは全て夢だ」という悪夢を見せられるのだが……と言う話。

 うーむ……、「夢オチについて考えてみました」というタイトルを掲げながら、単に知っている夢オチを列挙しているだけになってますな。

 それもこれも、

 「夢オチは最低のオチだ」と言う人もいますが、それなら「ブラックジャック」の最終回も最低なのでしょうか?

 と言う質問に、自分自身が反論を上げられないのが、原因でしょう。

 つまり、現段階では、「夢オチが最低のオチである」とは言えない、という結論にしかならないですね。

 考えてねえ。

 (2008年3月8日追記)

 勝新太郎のテレビ時代劇「新座頭市」の最終回が夢オチでした。なんと座頭市の目が見えるようになるという内容で、こんな大胆なif”もしも”を可能とする夢オチを、「夢オチ = 最低 → 使用禁止」と決めつけるのは、やはり乱暴ですね。

 アニメ「ど根性ガエル」にひろしとピョン吉の立場が入れ替わってしまうという話があります。これも夢オチなかりせば、存在できない話ですな。

 あと「久米宏のTVスクランブル」のミニコーナー「夢のハリセンオジサン」の最終回が夢オチでしたね。ハリセンオジサンが世間巷のムカつく人間をハリセンでぶっ叩くというコーナーで、途中からライバルとして「何が悪いのよオバサン」というのが出てきます。最終回で、ハリセンオジサンと何が悪いのよオバサンが夫婦だったとわかります。ハリセンオジサンは何が悪いのよオバサンの言いなりで何も言い返すことができない。結局「夢なんだよな、夢なんだよな……」とハリセンオジサンは眠りにつく、今までのハリセンオジサンの活躍はハリセンオジサンの夢にすぎなかった、という非常に意地悪な夢オチです(笑)。
 初めから「夢の~」と断っているのですから、こういうのもありですね(笑)。 

 

 

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首が飛んでも動いてみせるわ

 今回の文章には、私の無知による間違いがあります。
 本来なら、削除したいような恥ずかしい文章なのですが、隠ぺい工作めいていて、イヤなので、
 自分への戒めのため、残しておきます。
 間違い部分には、このように太字で修正を入れておきます。

 「お楽しみはこれからだ」は、映画の名セリフをテーマにした、イラストレーター、和田誠さんの有名な映画エッセイ集です。

 

 

Book お楽しみはこれからだ―映画の名セリフ

著者:和田 誠
販売元:文藝春秋
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 その「お楽しみはこれからだ」の中に、中川信夫監督、天知茂主演の「東海道四谷怪談」に、田宮伊右衛門のセリフで「首が飛んでも動いてみせるわ」というセリフがあると紹介されているのです。

 

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 実は、歌舞伎の「東海道四谷怪談」の方には、そのセリフがあるのだそうです。

 このセリフは、京極夏彦の「嗤う伊右衛門」でも「首が飛んでも動いてみせよ」という形で引用されてます。

 

嗤う伊右衛門 (角川文庫) Book 嗤う伊右衛門 (角川文庫)

著者:京極 夏彦
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 当然、映画からではなく、歌舞伎からの引用ですね。

 ところが……、私は「東海道四谷怪談」を4回も見てるのですが、一度もそのセリフを聞いたことがないのですよ。

 これは本当です。最初はWOWOWです。二度目は池袋文芸坐のオールナイトで。三度目と四度目は、レンタルビデオです。実は、この文章も、ちゃんとレンタルして、見ながら書いたんですよ。「よし! ない!」と確認したから、書いたんです。

 ですから……、思うんですけど……、これは和田誠さんの勘違いで、そんなセリフはなかったんじゃないかと思うんです……。

 ところが、他の映画では言ってるらしいんです。
 そして、歌舞伎の「東海道四谷怪談」にも、言うバージョンと、言わないバージョンがあるらしいんです。
 鶴屋南北による初演では言ってなくて、翌年、大阪で上演された際、付け加えられたそうです。
 ですから、やっぱり中川信夫監督、天知茂主演の「東海道四谷怪談」では言ってないのかも……?

 「お楽しみはこれからだ」が書き始められた時は、まだビデオが一般的でなくて、見直して確認できなくて、勘違いをしたまま、書いてしまったのではないかと……。

 実は「お楽しみはこれからだ」には、そんな例があります。
 「網走番外地」に高倉健のセリフで「体中、ツララだと思えば寒くはねえ」というセリフがあった、と紹介していたのですが、あとで、読者からあれは「体中、面(つら)だと思えば寒くはねえ」だった、と指摘されたという話があります。(逆だったかもしれません、今、手元に本があるわけではないので……)

 ↑ これも調べなきゃ、マズイですよね。

 それでただ勘違いと決めつけるのも、あれなので、何と勘違いしたのかと推測しますと、多分、これと勘違いしたのではないかと思うんです。

 ここから 下の文章は、完全に私の間違いです。
 ゲスの勘ぐり、というか、アホがわけのわからんこと、ほざいてると笑ってください。

 黒澤明の「用心棒」です。

 

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 黒澤明の「用心棒」で、三船敏郎演ずる桑畑三十郎がヤクザに捕まって、リンチを受けるんです。抜け出した三十郎は棺桶に入って墓地に運ばれます。

 その墓地で、棺桶の中から、髷がほどけてザンバラ髪になった、傷だらけで、まるでお岩さんのような三十郎がヌウッと出てくるのです。
 それを見た東野英治郎(初代水戸黄門)演ずる権爺さんは脅えて、

 「おめえ、生きてるようには見えねえぜ」
 「そうかい?」

 ニヤリと笑って倒れるというシーンがあるんです。

 それで、その前のシーンで、加東大介演ずる亥之吉が三十郎を評して、

 「全くてえした野郎だ、首チョン切られたって大人しく転がってるタマじゃねえや」

 と言います。

 これを勘違いしてるんじゃないでしょうかねえ……?

 そもそも、「東海道四谷怪談」に「首が飛んでも動いてみせるわ」というセリフが「確かあったと思う」という書き方をしてたと思うんですよ。

 だから、やっぱり本当はないんじゃないかなあ、と……。

 中川信夫監督、天知茂主演の「東海道四谷怪談」に「首が飛んでも動いてみせるわ」というセリフがあるかないかは、まだわかりません。
 やっぱり、和田誠さんが、他の映画と混同してるのかも?
 あるいは歌舞伎の「東海道四谷怪談」と混同してるのかも?

 それとも、私が見た「東海道四谷怪談」は、4回とも、そのセリフがカットされたカットバージョンなんでしょうかねえ?

 ひょっとして、私が四回とも聞き落としているのかも……?

 ウヒー!!!!

 だれか、和田誠さんに確かめてくれませんか?

 どうやってって? 

 どうにかして……(笑)。

 はたまた「網走番外地」みたいに、あとで「間違ってました」と訂正してるのでしょうか?

 調べなきゃなあ……。

 ビデオを見ただけではダメで、「お楽しみはこれからだ」もちゃんと読みなおして書かなければならなかったようです。

 本当に調べなきゃいけませんね。
 反省します。すみませんでした。ごめんなさい。

 

 

 
 

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ロジャー・ゼラズニィの「地獄のハイウェイ」

 今は亡き雑誌「宇宙船」に「「世界が燃えつきる日」というつまらない映画の、面白い原作」と紹介されてました。

 (特撮専門誌「宇宙船」は2008年4月1日、奇跡の復刊を遂げました)

 読んでみると、確かにそうでした。
 映画の方は見てないので知りませんが、原作は確かに面白かった。

 話は簡単です。

 コバルト爆弾の影響で環境の激変した地球に、人類は細々と生きていました。ボストンにペストが蔓延し、カリフォルニアからペストの血清を輸送しないと、ボストン市民は死滅する危機にありました。しかしボストンとカリフォルニアの間には「呪いの横丁」と呼ばれる危険な地帯が横たわっています。(アメリカの地理に詳しくない上、マイル表記なので、どのくらいの距離かわかりませんが(笑))

 その「呪いの横丁」を横断するために雇われたのは「ヘル・タナー」という男です。

 タナーは、この世に生まれおちた時、父親が「出生届けになんという名を書きます?」と聞かれて「ヘル!(くそくらえ!)」と吐き捨てて、どこかに消えてしまったため、「ヘル(くそくらえ)・タナー」と名付けられました。
 そんなタナーがまともに育つわけがなく、札付きの悪となりました。

 タナーは全ての罪を免除するという条件を受けて、特別製の装甲車に乗り込み、出発します。
 その装甲車は、強靭なドレッドのついた8個のタイヤ、八門の五〇口径機関銃と四門の摘弾頭、三〇発の徹甲ロケット弾、火炎放射管、鍛鉄でできたカミソリのような"翼"他、様々な装備をつけた、凄い代物です。
 こんな凄い装備をつけた装甲車を考えた以上、名前も「マグマライザー」とか「ポインター」とか「マットビハイクル」とか「ウルフ777」とか、つけたくなるはずです(笑)。

 しかし作者のロジャー・ゼラズニィはそっけなく"car"としか書かなかったらしく、翻訳者も"車"と直訳しています。
 それは、この物語の主役は特別製の装甲車ではなく、「ヘル・タナー」という男だ、ということなのでしょう。

 初めは「呪いの横丁」を横断する仕事を、嫌がったタナーは脱走します。しかし、警官に取り囲まれ、連れ戻されます。(ここが最初のシーンです)

 タナーが、最初にこの仕事に積極的な態度を見せるのは、デニーという男が「呪いの横丁」を走るというイカレた仕事につく事を知った時です。タナーは、デニーに自分の金の隠し場所を教え、殴り倒して、「呪いの横丁」を走るというイカレた仕事ができないようにします。
 このデニーという男は、タナーの兄弟だとわかります。

 仕方なしに仕事を引き受けたタナーですが、やがて完走する気になります。

 その心情を、タナーは途中で助けられた家族の少年に長々と1ページ以上にわたって語ります。

 小学校でならった先公がこういったんだ。世界は大きな機械だ。あらゆるものがほかのあるゆるものを動かしていて、いままでに起こったことはぜんぶ、この作用と相互作用の働きだってな。それを考えると、おれの頭のなかに〈でっかい機械〉の絵ができあがった――いろんなギアやピストンやチェーン・ベルト、それにいろんなレバーやカムやシャフトや滑車や心棒、おれはほんとにそれがどこかにあって――つまり、その機械がだぜ――それがちゃんと動いているか動いていないかで、この世界がよくなったりわるくなったりするんだと思った。それでよ、いまはその機械があんまりうまく動いてなくて、だれかが一度ちゃんと直さなくちゃだめだ、直したあともしょっちゅう見張ってなきゃだめだ、と思ったんだ。教室じゃいつもそのことばっかり空想してたし、毎晩寝るまえにもそのことを考えたもんよ。『おれはいつかそれを探しにいって、見つけてやるぞ。それから、その機械の番人になるんだ――油をさしたり、あっちこっちのナットを締めたり、すりへった部品をかえたり、きれいにみがいたり、調節したりする人間になるんだ。そしたら、なにもかもうまくいくようになる。天気もよくなるし、みんながたっぷり食えるし、ケンカも病人も酔っぱらいもなくなるし、ほしくても持てないものなんてなくなるから、だれも盗みをしなくてもすむ』――おれはいつもそう考えたもんさ。その仕事がやりたかったもんさ。どこかの大きな工場か、大きな古い洞穴で、その機械をとびきり好調に動かして、みんなを幸福にしようと、汗水たらしてるおれの姿が目に見えるようだった。しかも、おれがそれをたのしんでいるところも、目に見えたんだ。たとえばさ、休みがほしいなと思ったら、おれは機械を止めて店じまいしちまう。すると、なにもかもがストップするわけだよな。おれ以外は。ちょうど写真を見てるようなもんさ。みんながなにかをやりかけで凍りつく――車を走らせてても、めしを食ってても、働いてても、抱きあっててもだ。なにもかもがストップしちまうから、おれはだれも知らないままに町中を歩ける。みんながなにをやってるかなと、のぞいてまわれるんだ。皿にのってる料理をちょいとつまんだり、店から服やなんかを失敬したり、あまっこにキスしたり、本を読んだり――好きな時間だけそれがやれる。それから、ぼつぼつあきてきたら、おれは帰ってきて、また機械を動かす。すると、なにもかもがまた前みたいに始まって、だれもそれに気がつかないんだ。かりに気がついたって、だれも文句はいわないだろう。なぜって、おれが機械をごきげんに動かしてるおかげで、みんなが幸福だからさ。それがおれの夢だった――〈でっかい機械〉の番人。ただ、そいつがとうとう見つからなかったのさ

 タナーはほとんどボロボロになってボストンにたどり着きます。
 
 しかし翌年の春、自分の銅像にわいせつな落書きをして、どこかに姿を消します。
 (実は、最大の容疑者にその行為の動機をたずねてみるものはいなかった、と曖昧に書かれているのですが)

 タナーは、どこに行ったのでしょう?

 おそらく〈でっかい機械〉を探しに。

 しかし、それでもロジャー・ゼラズニィは、こう書きます。

 人々は巨大なブロンズのハーレーにまたがった超頭身のタナーの銅像にふたたび幕をかけ、かれらが望みをつないだ後代のために銅像を掃き清めた。しかし、コモン公園をおそう嵐は、いまもなおかれを鞭うち、空はいまもなおかれの頭上に汚物をぶちまけている。

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小泉八雲の「新編 日本の怪談」から「雪女」

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの著作を池田雅之氏が編訳した本です。
 原文は英字で書かれてたのでしょうか? よく知りませんが。

 

新編 日本の怪談 (角川文庫ソフィア) Book 新編 日本の怪談 (角川文庫ソフィア)

著者:ラフカディオ・ハーン
販売元:角川書店
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 私は古本屋で本を二冊以上買います。折角安いのだから、目当ての一冊だけ買うのはもったいないと思うからです。
 これも、そんな一冊で、目当ての本を買う時に、ついでに買う分として選んだ一冊でした。
 しかし、読んでみると、目当ての本より、こっちのほうが気に入ってしまいました。

 その中から、「雪女」の話を。

 「雪女」は、私にはよくわからない話でした。

 「雪女」は皆さんもよく知っていると思いますが、雪の降る夜に男が寝ていると、雪女が入ってきて仲間を殺してしまうのです。しかし、主人公の男は殺さず、「人にしゃべったら殺してしまうぞ」と言って去っていく。男は約束を守って、しゃべらなかった。やがて、妻をもらって、子供を作って暮らしていたが、妻にあの夜のことをしゃべってしまう。すると妻は「私があの時の雪女だよ。しゃべったら殺すと言っておいただろう。でも子供がいたんじゃ殺せない」と言って去っていく、という話です。

 それで、雪女が何を考えていたかがわからない。

 なんで、男の前にまた現れたんでしょうかね?
 男が約束を破らないか、見張るためでしょうか?
 見張るためなら、妻になる必要はないんですが。まあ、妻になれば見張るのに好都合だというのもわからないでもないです。でも、子供を作る必要はない。そこまで妻になりきる必要はないはずです。子供を作ってしまったために、いざ殺そうとしたときに殺せないってことになってしまったわけです。情が移るとは思わなかったんでしょうか?

 次に、しゃべったら殺すと言ってたわけですが、本人にしゃべったわけでしょう?
 これは約束を破ったうちに入るのか? 
 ま、確かに男が雪女本人と知っていてしゃべったわけではないですが。
 「他の人にはしゃべるな」とでも言っておけば良いことでは?

 また、去っていくのもよくわからない。それまで仲良く暮らしていたんでしょう?
 正体見せても、「子供がいたんじゃ殺せない」と言い出すなら、そのまま暮らしていけば良いのでは?
 これは難しいかもしれませんが(笑)。

 しかし今回、原典に当たることになって、雪女が何を考えていたのかわかったような気がしました。

 まず驚いたのは、登場人物に名前があったことです。「昔々、あるところに……」みたく、登場人物に名前なんかないと思ってましたから。まあ、茂作と巳之吉というありがちな名前ですが。

 それで雪女が茂作という老人を殺し、巳之吉という若者を殺さないのですが、その時、理由もなくなんとなく殺さないのかと思ったら、ちゃんと理由を言うのですね。「おまえはなかなかきれいだから、今は許してやろう」と。二枚目だから、殺さなかったのですよ(笑)。

 そして、巳之吉はお雪と結婚するわけですが、その馴れ初めも詳しく書かれています。
 あくる年のある晩、巳之吉は同じ道を歩いてる娘に出会います。両親をなくし、江戸にいる身寄りを頼って行く途中だそうです。その後のことを、ラフカディオ・ハーンはこう書いています。

 巳之吉は、たちまちこの見も知らぬ娘にすっかり心をひかれてしまいました。見れば見るほどお雪は美しい娘に思えました。巳之吉は、いいなずけはいるのか、と尋ねました。するとお雪は「おりませんわ」と笑って答えました。そして今度は、お雪の方が巳之吉に、もうお嫁さんはいらっしゃるのですか、それとも契りを交わした方がいらっしゃるのですか、と尋ねてきました。巳之吉は、母親をひとり養っているが、自分は若いので、お嫁さんをもらうことはまだ考えたことがない、と答えました。
 二人はそれだけ確かめ合うと、あとは長い間、黙ったまま歩き続けました。

 なんとも初々しくて微笑ましいですね(笑)。
 その後、巳之吉のすすめで巳之吉の家に泊まったお雪は母親にも気に入られ、そのまま巳之吉の妻になるわけです。母親は五年後、なくなりますが、なんと十人もの子供を儲けます(笑)。一人じゃなかったのか(笑)。
 何年、側にいたのでしょうね?
 しかし、お雪は村に来た時と少しも変わらず、美しく若いままだったそうです。
 雪女だから当然ですが。

 この「この美しく若いまま」という部分にピンと来るものがありました。
 雪女が巳之吉の元に再び現れたのは、巳之吉を見張るためではなく、一目ぼれしてしまったのではないかと思ったのです。本気で巳之吉の嫁になるつもりで現れたんじゃないかと思いました。
 だから、十人も子供を作ったのではないか。
 しかし、人間と妖怪の悲しさ、人間の方は年を取るのに、雪女の方は年を取らない不自然さが出てきます。
 雪女は「どうしよう……」と悩んだでしょう。
 いつか打ち明けなければならない、本当のことを話さなきゃ、巳之吉の元を離れなければ……。

 そして、ラストの展開になるわけです。
 雪女は、その時「打ち明けるなら、今だ……」と思ったのでしょう。

 原典を読むと、雪女の方が「その女(ひと)のことをはなしてくださいな」と促しているんですな。
 これで、しゃべったなと怒るのはズルいですよね(笑)。
 しかし、自分から正体をバラすつもりだったなら話は別です。
 
 そして、正体を見せた雪女は、

 どうか、この子たちの面倒をよくよく見ておくれ、よもやこの子たちを苦しめるようなことがあったら、そのときこそ、お前も相応の目にあわせてやるさ……。

 と言って消えていくのです。

 雪女は本当は別れたくなかったのではないか?
 しかし、別れざるをえなくなって、口実を設けて、泣く泣く巳之吉の元を去って行ったのではないか?
 だから、子供たちの将来を願って去って行ったのでは?

 そんなふうに思いました。
 わかりませんけどねえ……(笑)。

 その他「僧興義の話」「常識」「ろくろ首」などが面白かったです。
 どの話も短くて、面白いですけど。
 

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