ほめる人が多い理由もわかるのですが、これもクソ映画です。
ストーリーや人物の行動がデタラメです。
それもこれも脚本を書いた柏原寛司がいい加減なシナリオを書いているからです。
1、登場人物の心理を全く考えていない。
2、登場人物がカッコ良いセリフを言えば、見ている人間は「カッコ良い!」と思うと思っている。
3、30分の話が4つ並んでれば2時間の映画になると思っている。
前後のつじつまが合ってなくても、全く気にしない。
主に、この三つの理由で話がメチャメチャ、2~3分に一回のペースで突っ込めるクソ映画になってます。
にもかかわらず、なぜほめる人が多いのか?
それは後で説明します。今は、なぜ駄作かを説明しましょう。
しかし、本当にもう突っ込みどころが多すぎて、どう突っ込んだもんだか、最初から突っ込んで行ったら、キリがなくて、本当に語りたいところまで辿り着かないので、適当に飛ばしていきます。
それじゃ行きますよ~。
まずディメンションタイドというブラックホールの実験をするんですよ。ブラックホールですよ? ブラックホール。これが何かわからない人はいないですよね? 当然、どこか無人島で実験すると思いますよね?
人里離れてるとは言え、山の廃校を消すんですよ。ヘンでしょ? こんなのは、この後、少年、淳に実験を目撃されたいというご都合主義ですから、勘弁してやって、先に進みます。
それでご都合主義ですから(……)、都合よく淳が実験を目撃するんですよ。
淳は実験跡地に、時空の歪みが原因で現れた大きな卵を発見します。
淳は発見した大きな卵を家に持ち帰ります。
理由がさっぱりわかりません。
「えっ? 理由が分からないなんて、そんな馬鹿なことあるわけないでしょ? 少年が大きな卵を見つけたんでしょ? 「わあ、大きな卵だなあ! 何が生まれるんだろう? みんなに見せよう」とか好奇心で持ち帰ったに決まってるでしょ?」と映画を見てない人は思うでしょ?
違います。私も本などであらすじを読んだ時は、そう思ってたんです。しかし、映画を見たらわからなくなりました。
淳が、にっこり笑って卵を持ち帰ったら、私も好奇心で持ち帰ったんだなあと思います。しかし、映画の中で淳は、そんな表情してないんですよ。
何を考えてるかわかりますか? だから、私はわからないと書いたんです。
いくら考えてもわかるはずはないんです。初めから、答えなんか用意されてないんですから。見てる人間が「何か深い理由があるんだろう」と勝手に考えるという手抜き仕事なんです。証拠もあります。後で説明します。
さて、淳は持ち帰った卵を、さして理由もないまま、渋谷に捨てます。
その卵から巨大ヤゴ、メガヌロンが孵化し、人を二人殺した後、脱皮して巨大トンボ、メガニューラとなって空へ飛び立ちます。つまり渋谷には人の変死体が二つと得体の知れない巨大ヤゴの抜け殻が一個あるわけです。
翌朝、どちらかが、あるいは両方がニュースになりそうですが、なりません。不自然ですが、勘弁してやって先に進みます。
巨大トンボ、メガニューラは淳の家めがけて飛んでいきます。
偶然の一致もなくはないので勘弁してやって先に進みます。
メガニューラを見た淳は、何か大変だと思ったらしく、ゴジラ攻撃隊「Gグラスパー」の女隊長、辻森を呼び出して、何かを伝えます。
「何か伝えます」というのは、この部分、省略されてて具体的に何をしゃべったのかさっぱりわからないからなんです。当然ですが、メガヌロンが人を二人殺してるなんて、ニュースになってないのですから、淳が知ってるわけないので、「僕が持ち帰って捨てた卵から、巨大トンボ、メガニューラが生まれました」ということを伝えたんでしょう。この話の何が大変なのか、私にはわかりませんが、大変なんだと仮定しましょう。
(2~3分に一回のペースで突っ込めるというのは本当でしょう?)
当然、辻森は理由を聞きますよね?
「なぜ、そんな事をしたの?」と。
聞かないんですよ。
理由を説明するのなんて、1分もかからないんですよ?
「なぜ、そんな事をしたの?」
「実は……」
「そうだったの……」
で、終わるじゃないですか? なぜ、そうなってないの?
これが「答えなんか初めから用意されてない」という証拠です。
柏原寛司は登場人物の心理なんか考えていません。今までの淳の行動は全て、ご都合主義で展開されてきたのです。「答えなんか初めから用意されてない」から、書きたくても書けないんです。
いや、柏原寛司は、登場人物の心理なんか初めから書く気なんかないんです。見てる人間が「何か深い理由があるんだろう」と勝手に考えると思ってるので。
今まで、突っ込みどころ満載だったのは、ご都合主義で展開されてきて「登場人物の心理を全く考えてない」からなんです。
さて、これで1の「登場人物の心理を全く考えてない」から「ストーリーや人物の行動がデタラメ」な理由は説明終わりました。これから2と3の説明を始めます。
巨大トンボ、メガニューラの話の何が大変なのか? 私にはわかりませんが、大変なんだと仮定すれば、当然、辻森には報告の義務がありますよね? 報告しないと大変ですよね? 渋谷が水没したりするかもしれない……。
報告しなかったので、渋谷が水没します。
渋谷が水没したので、「ディメンションタイドを宇宙に打ち上げたので、協力してください」という会議をするんです。
話のつながりがヘンですが、本当にこんな展開してます。
「普通は、こういう会議をしてから打ち上げという段取りだろうが」と思ったかどうか知りませんが、政府の高官は、「そんなわけがわからんもの使って、逆に取り返しがつかぬようなことになったら?」と言います。
すると、辻森はこうぬかします。
「そんなことありえません!」
渋谷が水没した理由を誰よりも一番よく知っているのは、この女です。
この女はなぜ、こんなウソをついたんでしょうかね?
「実際、何も起こらないんだから、良いじゃないか!!」なんてのは答えにならないですよ。私は「なんで何も起こらないんだ?」と聞き返しますから。質問を増やすような答えはしないように。それに、答えは「ご都合主義で起こらない」とわかってるので。私が聞いているのは、ウソをついた理由です。
……、ウソをついた理由はねえ、1、2、3、全部が理由なんです。
まず1、「登場人物の心理を全く考えてない」ので、マトモな人間なら感じるはずの罪悪感なんて感じたりしないんです。「私の報告があれば、被害は少なく出来たかも……」なんて悪びれたりしないんです。
次に2、柏原寛司は、「登場人物がカッコ良いセリフを言えば、見ている人間は「カッコ良い!」と思うと思っている」ので、「そんなことありえません!」と言わせただけです。「この場面で、そんなセリフを言わせたらウソになる」なんて考えてないのです。ただ単に、カッコ良いセリフを言わせたら、たまたまウソになっただけなんです。
そして3、「30分の話が4つ並んでれば2時間の映画になると思っている」から、ウソをついてることになってしまったのです。
これはちょっと難しいかもしれませんが、渋谷が水没するまでの話が約25分、ここで渋谷水没の話が終わってるんです。そして、また別にゴジラ対策の話が約25分新しく始まっているんです。話のつながりが変なのはそういう理由です。説明した意味わかります?
最初の25分の展開が柏原寛司の頭の中から消え去っているんです。だから登場人物の行動に心理的なつながりがないんです。ウソになっているとは柏原寛司は思ってないんです。
つまり最初の約25分の辻森と、次の約25分の辻森は別の人間と考えてください。心理的なつながりがなくて当然ですよね? 同じ人間と考えるから、話がややこしくなるんです。別の人間と考えれば心理的なつながりがなくて、当然です。どうしても、わからなければ、この本のP233の「団子の串刺し」という部分を読んでください。
まともな人間なら、話がつながってなければおかしいと考えるわけですが、柏原寛司は正常な人間ではありません。異常者でも、馬鹿でもアホでもなんでも良いから、とにかくマトモな人間と思わないでください。いい加減な手抜き仕事をして平然としていられるクソ野郎なんです。
柏原寛司はマトモな人間ではないから、話がつながってなくても、おかしいなんて思わないんです。
この説明でわからなければ、逆に私に説明してください。
なぜ、渋谷が水没してるのに、「ディメンションタイドを宇宙に打ち上げたので、協力してください」という会議に、話が飛ぶのですか?
そもそも話につながりなんかなくて、起承転結の4つの話がぶつ切りに、ただ並んでいるからです。
起、渋谷水没まで。承、ゴジラ対策。転、ゴジラ対メガギラス。結、ゴジラ退治。こんな風に並んでるんです。
「渋谷水没」の話が終わった後、新しく「ゴジラ対策」の話が始まっているのです。その境目が、セリフと心理のつながりのなさから、わかるんです。
さて、このペースで突っ込んで行ったら、キリがないので、話は最後まで飛びます。
最後に、ゴジラが東京に現れた理由が伊武雅刀のせいだとわかって、辻森は「みんな……、みんな無駄死にじゃないですか!」と伊武雅刀を殴ります。
この女にそんな資格があるんですか?
ないでしょ? 渋谷を水没させた張本人みたいな、この女に。
こいつの報告があれば、被害を確実に減らせたわけだったんですが?
辻森が、伊武雅刀を殴った理由はわかりますね?
1「登場人物の心理を全く考えていない」から、「渋谷水没は私の責任だ、だから、この人を殴れない」なんて、正常な人間と同じようには考えないんです。2「登場人物がカッコ良いセリフを言えば、見ている人間は「カッコ良い!」と思うと思っている」から、「みんな……、みんな無駄死にじゃないですか!」と言わせて殴らせれば、見てる人間は「カッコ良い!」と思うと思って、そうさせただけです。3「30分の話が4つ並んでれば2時間の映画になると思っている。前後のつじつまが合ってなくても、全く気にしない」。これは、もう説明不要ですね。
というわけで、「ゴジラ×メガギラス」は、全編、この調子のクソ映画です。
昭和ゴジラシリーズ中最低と言われる「ゴジラ対メガロ」でさえ、ここまで突っ込めたりはしません。
柏原寛司が脚本を書いた時点で、「ゴジラ対メガロ」以下になると決まってたんです。
残念ですが、突っ込みどころ満載で、突っ込みきれません。
では、なぜ、ほめる人がいるのかというと、この映画はテンポが良いんです。ポカーンと、口開けて見てたら、これらの突っ込みどころに気がつかずに、ポンポン進んでいってしまうんです。
つまり、手塚昌明監督の手腕が見事だった、というわけです。
しかし、ここまで話がデタラメでは「ゴジラ対メガロ」以上になったりはしません。
「ゴジラ対メガロ」以下のクソ映画です。
私が以前、「ゴジラシリーズワースト5は、下から順に、「VSスペースゴジラ」「ゴジラ2000」「×メガギラス」「ゴジラ84」「対メガロ」です」と書いたのは、柏原寛司のクソ脚本を映像化した監督の手腕順というわけですね。
「VSスペースゴジラ」 < 「ゴジラ2000」 < 「×メガギラス」
というわけです。
あと、大島ミチルの音楽も素晴らしいです。たとえ一部分でも、伊福部昭氏の音楽を使ってもらいたくなかったほど。
要するに、
1、柏原寛司の脚本がダメなため、「ゴジラ対メガロ」以下のクソ映画。
しかし、
2、手塚昌明監督の手腕が見事。
3、大島ミチルの音楽も素晴らしい。
なので、ほめる人がいるのもわかる。ということです。
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